主観で差をつける
今から何十年も前の話ですが、金融機関に努めていた若い頃、何か事を始める時や問題が起こった時、「どうすればよろしいでしょうか?」「どう対処しましょう?」などと上司に言うと、「お前はどうしたいんだ?」と相手にされませんでした。
それは、自分のフィルターを通し煎じ詰めてから、自分はどう考えたのか、そしてどうしたいのかという主観で話をしろという事だった訳です。
その当時は戸惑いましたが、自分がどうしたいのかという主観は、企業活動における商品企画だけでなくマーケティング活動において益々重要になると言えます。
客観的理論的ではつまらない
決して客観的理論的ということが重要ではないという事ではありません。
市場調査による消費者の意識調査や販売動向などのデータはもちろん必要です。ただ、あまりにもそれを重要視し過ぎてきたことが問題です。
消費者の意識やマーケティングに関するデータについても昔とは大きく異なり相当の精度で誰でも手に入れる事が出来るようになりました。
そのデータから仮説を導き出し理論的に検証すれば、ほぼ誰がやってみても同じような結果になります。それを基準に商品を作ればA社もB社もC社も同じような商品になってしまいます。
もっと主観をもって
先に主観が重要であると言いましたが、ここで言う主観とは単に「私はこの色が好き」とか「この味の方がいい」という話ではありません。
自分とは異なる価値観にしっかりと触れ自分の感性というフィルターを通した結果として、自分(自分たちは)はこうしたい、という強い思いを含むものが主観です。
その主観が感じられないといわゆる「〜らしさ」という独自性を感じてもらえず、結果として他社と同じようなモノになってしまいます。
企業として「こういった価値を届けたい」という思いがこもった主観を、組織全体で共有していく事が必要になります。
客観的なものはAIにシフトしてしまう
客観的理論的なものに頼りすぎると、ある程度すでに確立されたものの見方や価値観に、自分の考えを当てはめ、合っているのか間違っているのか、といったような考え方に知らず知らずに染まってしまいます。
できるだけ間違えないようにやって行けばいい時代であれば、客観的理論的一辺倒でもそれほど外れた事にはなりませんでした。
また、コンピューターが人間よりも優れてる時代はすぐそこです。今後は誰が見ても正しいと思える「客観的」なことはAIにとって変わっていくことでしょう。
人間に価値が残るのは、どうしたいかという主観が伴った主体的な思いのはずです。
主観で尖(とが)らせる
これだけ世の中に客観的理論的に生み出された商品で溢れかえっている状態では、客観的理論的であることは新しい価値を生み出す上では強みを発揮しません。
独自性のある新しい価値を生み出せないのです。
そのためにも組織や個人が持つ主観をもっと全面に押し出し、尖(とが)らせましょう。
これからは主観的なモノの考え方がもっともっと求められてくるはずです。
企業と消費者(顧客)との共創マーケティングにおいては、企業担当者の感性を磨きながら、自分たちは「こうしていきたい」という主体性のある意志を育みます。